祖母の思い出

自分の祖母は昭和の初期に生まれ、80歳を過ぎた祖母がいました。
始めは叔母家族と故人の祖父と住んでいた家で、70歳頃から私と祖母の娘にあたる私の親と共に別の市に移り住み3世代で住んでいました。
私たちの家に住んで数年たったある日、突然祖母が祖父と暮らしていた町へ単身で引越すと言い出したのです。
家の契約等は既に済ませてあり、その当時はまだしっかりしていた事もあり私たち家族はその引っ越しを止めることはできませんでした。
引っ越しをしてからしばらくたった後、家の中で転倒をし足を悪くしてからあまり外出をしなくなり、祖母に認知症の症状が現れ出したのです。
少し物忘れが出てきたかなと思っていましたが、しばらくしてから金銭管理ができず、お金が足りない!気付いたらない!という訴えが始まりました。
それから徐々にご飯を作れなくなり、栄養状態の悪化、そして歩くことが困難になり一人で入浴をほとんど入れない日々が続きました。
そんな祖母の生活が一変したのは、私たち家族の市の住む特別養護老人ホームに入所してからの事でした。
物忘れが酷くなり、5分前に私に電話をかけてきた事を忘れてしまう祖母でしたが、施設でのリハビリの結果、施設内を杖歩行にて自由に歩けるまで回復することができました。
「帰りたい、けど帰っても大変やなあ。」と残念そうな表情で私に訴える祖母を見て、家で一緒に生活をできればなと思いながらも入浴介助や排泄介助を自宅でやっていける自信もなく、母が週1回、私が月1回ほど行く日々が続きました。
そんな寂しい表情を見せる祖母でしたが、施設で花見や買い物の外出の際にはとてもいい笑顔を見せてくれていました。
うさぎの耳がついた飾りを被って、満面の笑みを見せる祖母をみてかなり驚きましたがとてもいい素敵な笑顔で、本人にとって楽しく生活ができていると思い安心できる日々を過ごしてくれました。
その後祖母は入所中食事を食べれなくなり、大腸がんから腸閉塞を起こし手術に挑んだものの、リハビリ等をして施設に戻ることを目指している最中に体調が急変し戻らぬ人となりました。
施設の方々が入院中やその後のお葬式に顔を出してくださるなど、私自身祖母の介護に対してあまり取り組めたことはありませんでしたが、たくさんの人達に関わって頂き、全てが希望通りとはいかないものの幸せな晩年をすごせたのではないかと思います。
社会全体として、自宅での介護が困難になってきている中、施設の方々には感謝の気持ちでいっぱいになった私の祖母の思い出でした。

介護で大変だった事について

最近は高齢化がますます進んでいる中で多くの家庭で介護の問題があるかと思います。
それはついに我が家でも起きて私は祖父の介護をしないといけなくなりました。

その時に私が介護をしていた祖父はまだそこまで重度の介護が必要な状態ではなかったのですがそれでも介護がいるくらいの状態になっていたのでかなり困りました。

では、具体的にどういう感じで介護が大変だったのかというと私が感じたのは
まず介護が必要な状態であると言っても普通に歩けるし食事も排泄も入浴も自分で
なんとかできる状態だったのですが、それでもかなり認知症が進行していた事もあって
朝も昼も夜も関係なしに何か体の具合が悪いと言っては呼び出されて病院に連れて行くのは
当たり前でそれに加えて被害妄想も入っていたので少しでも自分の思い通りにならないと
すぐに悪態をつくだけでなくこちらが少しでも反抗的な事を言えば暴れるようになっていきました。

それが面倒を見ないといけない身としては本当に辛かったです。しかも介護が必要な状態と言ってもそこまで重度でないのですぐにどこかに連れて行けと車で目的地まで連れて行くように言ってくる事は普通にありました。

もちろん、認知症が入っているのでこちらの都合などおかまいなしです。
いくらこちらが予定があると言っても納得してくれません。

それで日ごろから私がご飯の準備などをしているにもかかわらず私がお風呂に入っている
時にお風呂の電源を切ってお湯が出ないように嫌がらせをしてきたりとかなり困らされました。

それでも私は怒らずに我慢していました。そしてそういう目に私が合わされても私は仕方ないと思ってそれでも祖父のご飯の用意をしたり、可能な限り祖父のわがままな要求にも応えました。

そして真夜中になって体の具合が悪くなったと言ってきたらすぐに救急外来に連れて行ってました。そういう事が時間を問わずにいつもあってかなり大変でした。

ですから、一般的な介護とは多少違うかもしれないですがそれでも大変でした。

親を引き取って自宅で介護する時の心構え

私が引き取った時には母親は85歳になっていたのです。引き取ってみて最初に感じたことは、母親と一緒に暮らした時期よりも、離れて暮らしていた時期の方が長いのだということです。一般的には18歳ぐらいまでは親と同居しますが、その後子供たちは家を出て独立します。そして親を引き取るまでに40年近くの時が経過します。離れて暮らしている時間の方が長いので、親が高齢になって引き取った時に非常にギクシャクした感じがするのです。私の場合は何十年ぶりかで母親と同居してみて、ビックリすることがとても多かったのです。一番ビックリしたのは、母親はこんなに頑固だったのかという点です。子どもの頃に一緒に暮らしていた時のイメージはもっと穏やかな人だという印象があったのですが、一緒に暮らしてみると意外に頑固だったのです。つまり離れて暮らしていた時間の方が長いので、自分の中でイメージしていた母親像と実際の母親像が違っているのです。同じ家でズーッと一緒に暮らしている人の場合はこんなことはないでしょうが、家を出て独立した子どもにとっては年老いた親を介護するために同居すると、このようなイメージのずれを感じるのです。また私の母親は自分が思っていたよりも神経質だったのです。例えば食事をしたあとに必ず鼻をかむのです。私はそれが気になって腹を立てることがよくありました。高齢の母親からしたら暖かい食事をすると鼻水が出るのです。でも若い者からするとその感覚がわからないのでイライラするのです。このようなことをなくすためには、介護が必要になるもっと前から頻繁に親と会ってコミュニケーションをとっておく必要があると思います。また親を引き取って介護をするということは、自分の家族もそれに巻き込むことになるという点を自覚しておく必要があります。我が家の場合は娘がちょうど10代の思春期だったので、急に年老いた母親と同居することに違和感を覚えたようです。母親も孫娘の素っ気ない態度に違和感を感じたようで、両者の間に立って気を遣うはめになったのです。このようなことを防ぐには、やはりもっと頻繁に自分の家族と親との交流を密にしておく必要があると思うのです。

祖母の介護で良かったこと、感じたこと。

私の初めての介護体験は、祖母を介護したときでした。ほんの最近のことです。
原因は、祖母が膝を壊してしまったことでした。もともと祖母は足が悪かったのですが、膝への負担が蓄積されていたのか、突然状態が悪化してしまい、一時的に介護が必要になったのです。

祖母の介護は想像以上に大変なものでした。祖母の症状は、有名な関節症である変形性膝関節症と呼ばれるものです。肥満や筋肉の衰えなどが原因で起こります。祖母の場合は、加齢によるものでした。それが悪化したために、自力で立てないというほどだったのです。

自力で立ったり、動いたりするのが困難な人を支えるのは、思ったよりも力が必要な、体力仕事です。時にはこちらの足腰までキツくなり、身体の節々が痛くなりました。

しかし何より大変なのは、決して怪我をさせられないというプレッシャーでした。ただでさえ膝が深刻な状態ですから、もしこちらがミスでもすれば、もっと酷い状態になるやもしれません。とはいえ、介護なんて初めてですから、何もかも完璧に行うことはできません。時には支え方が上手くいかないときもあります。そんなとき、祖母がとても痛がって、こちらまで心が痛くなりました。

それでも、介護を通して色々気づけたこともありました。一つは、祖母の優しさです。私の不器用な介護に対して、祖母は文句を言うことなく、むしろ感謝の言葉をくれるほどでした。私はいたたまれない気持ちを感じるとともに、とても温かい気持ちになることができました。
もう一つは、誰かを支えるということの喜びです。人生を生きていれば、自分なんかいなくても、と感じることが一度くらいはあります。しかし今回の介護や、祖母の言葉を通して、自分だって誰かに必要とされる存在なのだと強く実感できたのです。

最終的に祖母は治療を経て、自力で歩けるほどに回復しました。しかし完治したわけではないですから、いずれまた悪化するやもしれません。そんなときでも、私は今回の経験を活かして、再び祖母を支えようと思っています。

家族介護の大変さ

私たち家族は認知症を患った祖父を6年間にわたり介護してきました。祖父の認知症は典型的な、食事をとったかどうか忘れたり、お金の管理が出来なくなるというものでした。排泄も徐々にできなくなり、おむつを使用していました。徘徊癖もありましたので、日中はデイサービスを利用し行方不明にならないようにいつも注意していました。家での主な介護は、おむつを取り替えることと食事の世話などですが、昼夜を問わず「通帳を盗っただろう」と言いがかりをつけて立腹してくるので、その対応が一番大変でした。なんとか話題を変え、お金のことを忘れさせようとするのですが、1日何度も聞かれると、介護する側が参ってしまいました。排泄についても、おむつをつけていても、トイレの場所がわからずに部屋でおむつを外し放尿することがしばしばあり、その後始末で毎日大変でした。注意してもすぐに忘れるので、私たち家族はやりきれなさを常に持っていました。足腰が丈夫だったので、徘徊についても悩まされました。ふと気づくと、部屋からいなくなっており、バスやタクシーを乗り継いで、県境まで行っていたこともあります。家族総出で探しても見つからず、警察に捜索をお願いしたこともありました。その時は、2日経って、遠くの神社で寝ているところを発見したのですが、家族全員が祖父の為にへとへとになり、まさに疲労困憊状態でした。
 苦労は、目に見えて家族に疲労という形でのしかかってきました。母は常に怒っているようになり、父は無関心になっていきました。兄弟は家を出るなど、家族はバラバラになりました。自分の家族なのに、家族だからこそ感情の行き場がなく、全員不満を抱えて生活していました。
そんな様子を見かねて弁護士を探したりもしましたが、その後ケアマネージャーが入居施設を紹介してくださり、状況は一変しました。施設に入居してからは、祖父と私たちの間に良い距離が保たれ、互いに怒ることなく過ごせています。たまに連れ出して食事に行ったり、今までの苦労を忘れるほど、良い交流ができています。

大変なこともあればいい思い出もありました

私は独身時代に介護職として7年間働いていました。老人保健施設、特別養護老人ホームで働いていて、色々な高齢者の介護をしていて、介護について体験をして考えることもありました。

介護で大変だったこととしては、身体的な負担と精神的な負担がありました。身体的な負担というのは、日常生活すべてにおいて介助をしていて、例えば入浴担当になれば朝の3時間ぐらいは入浴介助になりますし、25人ぐらいの高齢者が入浴するのを次々にお手伝いするという仕事になります。
一日通して体を動かす仕事で体にかかる負担は大きく、腰痛になる人も多かったですし、私の場合も仕事が終わったら体がくたくたということが多かったです。

また認知症高齢者が多いのでスムーズに意思疎通ができずに、暴言を言われたり、暴力をふるわれたりすることも日常茶飯事でした。
特に特別養護老人ホームは介護度の高い人が多かったので、こちらが入浴に誘ったのを拒否して、引っかかれたり、叩かれたりということもありましたし、
トイレに誘っても同じこともありました。
良かれと思ってやっていることが全く通じない、相手のためにならないということに対してむなしさを感じました。

いい思い出としてはやはり介助をすることで「ありがとう」という言葉がもらえることでした。一日に何度ありがとうを言われたかわかりませんし、家族の人からもとても感謝してもらいました。そのことで自分の仕事はやりがいがある、誰かの役に立っていると感じることができました。
また高齢者の方が施設生活の中で活き活きとしている姿を見たり、施設に入所してきた時よりも生活を通して元気になっていく姿を見ると、この仕事をしていて良かったなと強く思いました。

私が職場を離れる時に「寂しい」と涙を流してくれる高齢者もいて、介護という仕事は大変だけれども、要介護の高齢者の生活を支える大事な仕事で、自分が支えているようでいて、逆にやりがいや生きがいで私自身が輝いていることもあると思えました。